吉向 松月

吉向 松月

Syogetu Kikko

水指「蓮池」

21.0×12.0 cm

茶器「西国名所図絵」

8.2×7.2 cm

吉向松月 (きっこう しょうげつ)

吉向焼のはじまりは、江戸時代の享和年間
伊予大洲藩出身の戸田治兵衛が京に出て、楽家九代了入・初代清水六兵衛・仁阿弥道八・浅井周斎などの名人たちに作陶を学び、大阪十三村に筑窯。

庭前の老松と生駒山にのぼる月にちなみ「十三軒松月」と号し、作陶に専念したのが起こりです。

十一代将軍家に慶事が起こり、当時の大阪城代・水野忠邦公の推挙を得て鶴と亀の食籠を献上したところ、その亀の食籠が殊の外気に入られ、「亀甲」すなわち吉に向かうに因んで「吉向」の窯号を賜わる以来この「吉向」を姓として名乗り、今日まで作陶を続けている
初代松月が、浪速の地に窯を築いて以来、200年あまり、各代々が種々の技術を伝統に取り入れ、吉向焼として、独自の発展をしております

十三に端を発した窯は、高津(現在の大阪市中央区)、枚方を経て、昭和55年交野市に移転しました
各種のお茶道具を中心に鮮やかな色彩とぬくもりのある形を活かした多くの作品を作り続けている

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